映画「PERFECT DAYS」感想&建築レポート

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今回は、今年のはじめに観たPERFECT DAYSという映画がとてつもなく響いたので、その感想を書きたいと思う。

※このレポートは後半に若干のネタバレを含みます。核心的な部分はぼかして書きますが、レポートの性質上ストーリーや映画内の描写について言及しています。
PERFECT DAYSは大きなネタバレ要素のあるタイプの映画ではないと思いますが、前情報を何も入れずに観たいという人は映画を観てからこの記事をご覧下さい。(記事の途中でも改めて注意喚起します)

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1.渋谷区のトイレを舞台にした映画「PERFECT DAYS」

まずはじめにPERFECT DAYSという映画のあらましを簡単に紹介する。
PERFECT DAYSは、有名建築家やデザイナーらを起用して清潔でデザイン性のよい次世代のトイレを生み出していく「THE TOKYO TOILETプロジェクト」のプロモーションの一貫して製作された映画だ。
監督は、ドイツの名匠ヴィム・ヴェンダース、物語の主軸となるトイレ清掃員平山を役所広司が演じる。

渋谷区内に設置されたトイレは最終的には全17に及んでいて、当初の予定より少し延びた2023年3月にすべてのトイレが供給開始となっている。

鍵を掛けることで透明なガラスの外壁にスモークがはられる代々木八幡の通称スケスケトイレなんかはメディアでも何度も取り上げられていたので、目にした方も多いかもしれない。

かく云う私も、東京都内を中心に日々建築巡りを行う建築フリークなので、2020年からの3年間は新しいトイレが完成する度にトイレ建築を観に行く日々を送っていた。
各トイレを訪れたレポートについてはこちらの記事にまとめているので、各トイレが実際にどんなトイレだったのか詳しく知りたい方は是非こちらの記事も併せてみてほしい。

簡単なあらすじを紹介する

【あらすじ】
東京渋谷のトイレの清掃員として働く平山。
下町のスカイツリー近くの古いアパートに住む彼は、はたから見ると毎日同じような日々を淡々と過ごしている。
外を掃く箒の音で目覚め、歯を磨き、アパート前の自動改札機で缶コーヒーを買って首都高に乗って仕事に向かう。車では70年台のカセットを聴き、仕事終わりには会釈をする程度の顔なじみがいる銭湯で汗を落とし、夜には古書店の100円棚で買った文庫本を読みながら眠りにつく。
誰にも気を使うことのない静かで平穏な日々を過ごしていた平山だったが、日々の中で起こる些細な出来事や出会いが、平坦に見えた彼の生活に強い光と影が浮かび上ってくる・・・

PERFECT DAYSは、トイレ清掃員として働く主人公の平山(役所広司さん)が、トイレを清掃する毎日を描いた映画である。

近年、凄まじいほどに完成度の高い映画やエンタメ性抜群の映画が多い中、この映画では派手な演出や一大スペクタクルが起こるわけではない。

東京スカイツリーが見える押上あたりのボロアパートで、初老の男が目覚め、布団を畳み、歯を磨く。
家を出て空を見上げ、家の前の(お金を入れるスピードからいって恐らく100円)の自販機でコーヒーを買い、掃除用具が詰まったバンで、トイレのある渋谷に向かう。
彼の清掃はとても丁寧だが、ここまで言葉は一切発しない。

気だるそうに仕事をする同僚の若い男性タカシ(柄本時生さん)に対してもジェスチャーで指示をすることから、ひょっとして言葉が喋れないのかな?と思ったところで、トイレでお母さんから離れプチ迷子になっている少年に優しく声をかける。
近寄りがたいバリアのような壁を感じさせ、ギラリとした目つきがちょっとアブナイ雰囲気の平山だったが、実は優しい人なんだと観客である私は少し安心するが、子供を母親の元に届けた平山と目線をあわせようともしない。
本来であれば礼のひとつもいうべきだと思うが、まるで平山という人間が存在していないかのような扱いだ。

このシーンの舞台となった鍋島松濤公園

そんなように、この映画で平山は社会の片隅でひっそりと存在する日陰者として描かれる。
しかし平山がただ惨めで無意味な人間なのかというと、そんなことはない。

この映画の中での平山は、日陰者であっても、日陰者だからこそ、美しくかけがえのない存在に思えてくるのだ。
この記事では2つのキーワードでこの映画を振り返ってみたい。

ここから多少のネタバレを含みます。

2.キーワード①「陰」:翳りの中に宿る人生の奥行き

平山の生活は、質素だがとても豊かだ。
ボロボロのアパートの中では職場である代々木八幡宮からもらってきた植物を育てていて、霧吹きで水をやるのが日課だ。
アパートはちょうど朝日が登る方角にドアあるので、玄関のドアを開けると日光の眩しさに目を細める。

100円の缶コーヒーを買い、古き時代のカセットテープをかけながら朝方の首都高を走る。日の出から始まり日の出で終わる映画を象徴するように、東から西へと向かういつものルーティンがはじまるのである。
仕事が終わった後は行きつけの銭湯に行き、古本屋で100円棚の文庫本を選び、馴染みの小料理屋で買った本をチラ見しながらお腹を満たす。
また、週末には浅草の地下街にある安い居酒屋でちょっと贅沢な時間を楽しむ。
その生活は質素でつつましいが、小さな変化と小さな幸せを享受しているように思える。

そんな平山の日常が陰影豊かな映像で描かれるのであるが、その世界観は、作家谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」を思い起こさせる。

陰翳礼讃は昭和初期の1933年に発刊され、西洋化近代化によって失われていく日本人の美意識について論じたエッセイだ。
その中で谷崎は「陰り」の持つ美しさと深みについてその思いを語っている。
西洋の人々は陰をなくし、煌々と光る明るい世界を所望するが、我々日本人は陰の中に美しさを見出していたのだと。
その最たる例として挙げられるのが、その映画のテーマにもなっているトイレ(厠)だ。

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陰翳礼讃の中で谷崎は、日本の厠は母屋から離れた廊下の先の庭の蔭にあり、それは薄暗く静寂な空間で、精神的に落ち着く詩的な空間だという。

さらに「我等の祖先は、住宅中で何処よりも不潔であるべき場所を、却って、雅致のある場所に変え、花鳥風月と結び付けて、なつかしい連想の中へ包むようにした」と礼讚し、「不浄扱いにし、公衆の前で口にすることをさえ忌む」現代人の感性を嘆く。

陰翳礼讃を私なりに解釈すると、谷崎はかつての人々は陰りの中に見えないはずの「何か」を想像し、イマジネーションを膨らませていたのだと云っているように思える。
例えばとなりのトトロにでてくる「サツキとメイが暮らす家」にはそこかしこに陰りがあり、その陰りからまっくろくろすけがでてくるのだ。
四方を照らされ「隅」がなくなった家にはまっくろくろすけはでてこない。隅にできる闇の中には、実は豊かで深遠な世界が広がっているのである。

谷崎の旧居

そう考えた時に、この映画の登場人物には皆、陰りがある。
主人公の平山だけでなく、タカシもアヤも、ニコもにこの母親も、料理屋の女将も皆だ。
というか、物体が存在する限り陰はできるのである。その陰にそれぞれにそれぞれの人生があり、深みがある。
そんな陰の存在を肯定し、讃歌してくれるのがこの映画なのだ。

陰は濃ければ濃いほど美しいといわんばかりに、映画を観る観客は、陰りの中に見える登場人物一人ひとりの人生に想像力を働かせていく。
陰は世界の広がりであり、その人物が生きる人生の奥深さを象徴しているのだ。

陰について特に印象的なのは、映画の後半で2人の男が陰を重ね合わせるシーンだ。
ここで男たちは、「陰を重ねると濃くなるのかどうか」についてちょっとした論争をする。(そして実際に試してみる)

「濃くなってる気がするなぁ」
「いや、変わらないよ」
「いや、濃くなってる気がするなぁ」
「いや、変わらないよ」
「濃くなってる気がするなぁ」
「いや、変わらないよ」
「いや、濃くなってる気がする。というか濃くなっていないとおかしいよ」

セリフはうる覚えだが、最後に平山が発したセリフは何処か祈りのようにも聞こえる。
人と人がつくり出した陰が重なるとき、より深い陰が生まれてほしいという願いのように。
一人で黙々と生きてきた平山の人生も、人との重なりの中で、その深みを増していくのだ。

そして陰は光があるから生まれるのである。
深い陰の深遠さをみるとき、同時にその裏側には光の存在がある。
劇中で平山は何度も陽を見上げる。憧れなのか、予感なのか、希望なのか。平山は太陽のまぶしさに目を細めつつ、何度も何度も顔を上げる。

3.キーワード②「橋」:異なる世界を繋ぐ橋

この映画でもう一つ印象的なのが橋だ。
古来より水都として発展してきた東京には、実はかなり橋が多い。

そもそも平山が住む押上からトイレがある渋谷に向かう時に使うのも「首都高」という一種の橋だ。
この橋は東京の象徴的な風景として映画を彩っているのだが、物語の象徴的なシーンは橋を介して展開される。

最初のシーンもしかり、姪のニコ(中野有紗さん)とのラスト近くのシーンもしかり、先程の陰論争のあったおじさん2人のシーンもしかり。ラスト数分の長回しのシーンもそうだ。

平山は橋の上で姪のニコに「この世にはたくさんの世界がある。繋がっているようで繋がっていないこともある」と世界の断絶を説く。
このシーンは決して交わらない世界への諦めにもとれるが、世界との繋がりを断ち切れず信じている平山という人間を象徴している言葉でもある。

平山が愛読している文学の世界がまさにそうだ。
文学作品に描かれる世界は、現実の世界とは繋がることのないパラレルワールドだが、「文学を読む」という行為によって、物語の世界の登場人物は現実の人間の人生に少なからぬ影響を及ぼしているではないか。
「11の物語」をはじめて読んで、これは私みたいといったニコだってそうだ。

そして今を遡ることはるか昔、海の向こうでつくり出された音楽もそうだ。
カセットテープから音楽もまた、平山の生活や人生に小さな変化をもたらしている。

口では世界は決して交わらないと言いながら、世界は様々な人との重なりでできていて、重なることで深く美しい一人ひとりの人生が積み重ねられるということが、映画を観終わった後に心に沁みる。
これ以上の人生讃歌があるだろうか。

代々木八幡公園の境内。たまたまだが猫がいた

一方で、小説や音楽のようにその存在が長く残るものもあればそうでないものもあれば、人の生や街など形あるものは、いつかはその存在は失われる。
橋の上で「今度は今度、今は今」と歌う2人のシーンは、いつか来るかもしれない未来と同時に、「今度」が訪れない可能性も予感させる。
映画の中盤には建物が取り壊された更地を見て「ここには何が建っていたのか」と振り返るシーンがあるが、形あるものは変化し、まるで最初から存在しなかったように記憶からも消去されていく。
そして過去や未来に思いを馳せながらも、映画は再び「今ここ」の平山にフォーカスしていき、ラストシーンの長回しシーンに繋がるのである。

この映画については他にも、寡黙な演技が光るカメラ屋のおじさん(翻訳家の柴田元幸さん!)や、「おかえり~」「おつかれさ~ん」の掛け声が最高の浅草地下街のおじさん(甲本雅之さん)、端的な本紹介に思わずニヤリとしてしまう古本屋の店主(犬山イヌコさん)、セリフはないが代々木八幡公園で猫を抱く女性(研ナオコさん)などなど、愛おしい登場人物が沢山でてくる。

映画のキャッチコピーは「こんなふうに生きていけたなら」だが、映画を見終えた後、私はそれとは真逆の感想を覚えた。
誰かの生き方に憧れ、模倣するのではなく、人はそれぞれの人生を生きている。平山には平山の、タカシにはタカシの、アヤにはアヤのニコにはニコの人生がある。
時には笑い、時には怒り、時には安らぐ。不安や後悔を抱えながらも、それぞれが「今」を積み重ねていく全員の生き方を肯定する映画だと感じた。

まだまだ語りたいことは山ほどあるが、既にここまでで相当長くなってしまったので、ここで一旦割愛させていただく。

4.映画に出てきたトイレ建築プチ解説

最後に建築フリークである私としては、映画に出てきたトイレ建築を10に絞って紹介したいと思う。

映画を観た私の所感としては、建築としてのトイレのコンセプトと映画はそこまで関連性がないように思えたが、せっかくなので簡単になるが振り返ってみたい。
(全部は紹介しきれないので登場シーンの多かったトイレだけ。全トイレのレポートはこちらの記事でも書いてるので、気になる人はみてみてほしい)

まず最初にでてくるのが、こちらの恵比寿東公園公衆トイレだ。

恵比寿東公園公衆トイレ(設計:槇文彦氏)

軽やかな屋根の下に小さなトイレが配置されていて、「路地」のような回遊性を持ったトイレ。
このトイレ自体THE TOKYO TOILETプロジェクトの最初にできたトイレだが、迷い込むような路地状の空間は映画の序盤にピッタリだ。

続いて紹介する鍋島松濤公園公衆トイレは、今や日本で一番有名な建築家といってもいい隈研吾氏(国立競技場や根津美術館を設計)がデザインしたトイレだ。私も見学したとき「あの丸太、ゴミ貯まるぞ」、と思っていたが映画でもやっぱり丸太に置かれたゴミを片付けていて思わず笑ってしまった。(ゴミ溜まってもいいと思う)

鍋島松濤公園トイレ
鍋島松濤公園公衆トイレ(設計:隈研吾氏)

「森のコミチ」をコンセプトとしたトイレは、子供が森に迷い込むように男の子を誘い込んだ。トイレ清掃員平山を無視するのも松濤に住むセレブ妻と知ると納得だ。(すみません冗談です)

はるのおがわコミュニティパーク公衆トイレ代々木深町小公園公衆トイレは、鍵を掛けると透明なガラスにスモークがかかる仕掛けで話題になったトイレだ。

はるのおがわコミュニティパーク公衆トイレ
はるのおがわコミュニティパーク公衆トイレ(設計:坂茂氏)
代々木深町小公園公衆トイレ
代々木深町小公園公衆トイレ(設計:坂茂氏)

映画でもスケスケに混乱する人に使い方をジェスチャーするシーンがあったが、多分何十回も繰り返された光景だろう。何だかんだいって一番人気の高いトイレだと思う(私調べ)
半透明のガラスの外装は公園の遊具やジュ国にマッチするようにデザインされているのも注目ポイントだ。

神宮通公園トイレはミヤシタパークの先にあるトイレだ。

神宮通公園トイレ
神宮通公園トイレ(設計:安藤忠雄氏)

大きく庇がせり出してトイレの周りをルーバーが取り囲んでいる構成のトイレは、ルーバーの間には曇りガラスが挟まれている。
外の光を柔らかに取り込みながら風が通るトイレは、映画にもでてきた「木漏れ日」を一番体感できるトイレかもしれない。
ちょっと引き気味に公園と一緒に見てみると、トイレが樹木のように見えるので、訪れた際は是非引きでも見てみてほしい。

代々木八幡公衆トイレは、映画でもキーになった代々木八幡宮の鳥居の麓に建つトイレだ。

代々木八幡公衆トイレ
代々木八幡公衆トイレ(設計:伊東豊雄氏)

地面から立ち上がる7色のタイルとその上に浮かぶ傘のような屋根は、まるで八幡宮の森から生えてきたキノコのようだ。
じめっとした日陰に建つ様は、日陰者の存在を優しく肯定してくれているようでもあり、映画の中でキーとなるトイレとしてもピッタリだ。
道路を渡ったすぐ向かいにはコンビニがあるので、聖地巡礼した際にはコンビニに立ち寄って、代々木八幡公園でご飯を食べてみるのもよい。

恵比寿公園公衆トイレは、15枚のコンクリートの壁で構成されたトイレだ。

恵比寿公園公衆トイレ(設計:片山正通氏)

公衆トイレというと上からの光がほとんどないものばかりだが、こちらのトイレは上方から差し込んでくる光が印象的。コンクリートによってつくられた壁は古木のようであり洞窟のようでもあり、アップで見ると表情がとても豊かだ。
まるでずっと昔からそこにあったかのような、古くて新しいトイレ。

西原一丁目公園トイレは、外観はグリーンを基調としたシンプルなデザインだけど、中に入ると印象が一変する。

西原一丁目公園トイレ(設計:坂倉竹之助氏)

木々のシルエットが半透明のガラスにプリントされ、映画のキーにもなっている「木」のイメージがガラススクリーンに映し出される。
夜はトイレ自体が「行燈」のように公園を照らす照明装置にもなる。

恵比寿駅西口公衆トイレは、恵比寿駅西口のエビス像のすぐ隣に建つトイレだ。

恵比寿駅西口公衆トイレ

宙に浮かぶように4周ぐるりと設置された白のルーバーは、周囲の風景を反射しつつ、うっすらと向こう側の風景を透過させている。
儚さの中に確かな存在感を感じるトイレは、スタイリッシュで洗練されたデザインと日本的な繊細さが融合しているようだ。照明によって抽象的なトイレのボリュームが浮かび上がってくる夕暮れ時に訪れるのがおススメだ。

最後にピックアップする東三丁目公衆トイレは、恵比寿駅の北東の小さな三角形敷地に建てられたトイレだ。

東三丁目公衆トイレ(設計:田村奈穂氏)

道路に対して入口の方向をエッジのようにたてることで、最小限のスペースで公衆トイレの動線と視線のコントロールをしているのが面白い。
私が訪れたときも映画同様タクシーの運転手さんが目の前に車を止めて使用していたので、あの光景はあるあるのようだ。

THE TOKYO TOILETプロジェクトはコロナ禍等の影響で竣工が遅れたこともあり、映画のメインででてきたのは最初に完成したトイレが中心だった。
ここで紹介していないトイレも魅力的なトイレがたくさんあるので、気になった方は是非訪れてみてほしい

少し長くなったが、以上が映画PERFECT DAYSを観たレポートと私なりの感想である。
映画を観終わった後は登場人物みんなのことが大好きになってしまった。私にとって大切な映画となったPERFECT DAYSはきっと折に触れて何度も見返すのだと思う。

とてもおススメの映画だし、観た人によっていろいろな解釈や受け取り方ができる映画だと思うので、気になった方は是非映画館に足を運んでみてほしい。


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