今回は鳥山まことさんの小説「時の家」を読んだ感想について書きたいと思います。
いつもは訪れた建築の紹介がメインのこのブログですが、今回2026年1月に発表される第174回の芥川賞の候補作にもなったこの本が、私に持って大切な一冊になったので私なりの感想を書いておきたいと思います。

尚、基本的にネタバレは避けますが、必然的に物語の根幹に触れますので、未読の方はご注意下さい。
1.少し昔に建てられた小さな家を巡る物語
この本は建築の設計を生業とする「藪さん」の自邸として建てられた、小さな平屋建ての家を巡る物語だ。
そしてこの家で暮らした3人(組)の生活の記憶が「この家自体の主観」をベースに語られるというのが大きな話の筋となっている。
この家には、最初は建主である藪さんが、そして彼が亡くなったあとは藪さんとは関係ない別々の人たちが暮らし、今は空き家になっている。
物語は少年時代に藪さんが暮らすこの家の近所に住み、今は大人になった青年が空き家となったこの家にふらりと現れるところから始まる。
この家に暮らした人々はお互いに関係性があるわけではない。それぞれが別々に数年間をこの家で過ごしたという共通点しかないのだけれど、青年が描きはじめるスケッチと、この家自身の主観描写によってこの家での出来事が徐々に語られていくのだ。
特徴的なのは、ここに暮らした複数の人物とその周りの人々の記憶の痕跡が、時間軸に関係なく並行して描かれる独特の文体だ。
ある人物に関する出来事が書かれたすぐ次の段落には、違った人物の出来事が描かれる。
共通するのは、その出来事はこの家の同じ空間で起こった出来事という点だけ。
この小説は時間ではなく空間を起点に展開され、そこに時間が重ねられていくのだ。
2.レイヤ(画層)を重ねるように描かれる空間に注目
正直はじめはその独特な文章に正直読みづらさを感じるのだけれど、緻密で丁寧な描写によって読み進めるうちにそこで暮らしが立体的に目の前に立ち上がってくる。
建築を生業にしている人には馴染み深い概念にレイヤ(画層)というものがある。
これは例えば家の設計図を描く時に、柱は柱のレイヤに、壁は壁のレイヤに、ドアや窓などの建具は建具のレイヤに分ける考え方だ。
それぞれ別のレイヤに分けられた建築要素を最終的に重なることで、ひとつの建築が浮かび上がってくる。
「時の家」での登場人物の人生の断片が、このレイヤのように重ねられ描かれる。
時間軸を越えて空間に重ねられることで、物質としての建築に人の人生と記憶が重ねられるのだ。
この手法によって紙に書かれた2次元の文字が3次元の立体の空間となり、さらに時間という奥行きが加わって4次元の描写へと変化していく。
この建築的多次元描写は、時の家の画期的な発明だ。
3. 丁寧に、真摯につくられたものはそれだけで人の心を打つ
多くの専門用語と共に描かれる家は、はじめは読者と距離を置いた存在だった。
しかし物語が進むと同時に、徐々にこの家のつくり手である藪さんの想いや、この家で暮らしたそれぞれの人物の想いが、読者である私にもシンクロしてくる。
緻密な描写によって、住んだことのない家が自分にとっても大切で愛おしい存在に思えてくる。
同時にこの小説には、人でも建築でも街でも、形あるものはいつかはなくなってしまうという、考えてみれば当たり前のことが通底して描かれている。
確かにそこに存在し触れられるはずだった存在が無慈悲に失われる、その暴力性に打ちのめされる。
私はこの本を、はじめは図書館で借りて読んでいた。
しかし読み進めるうちにこれは自分の本として読みたいなと思い購入した。最後は読み終えてしまうのが勿体いなくて、少しずつ、少しずつ読んだ。
この本にはフックとなる分かりやすい仕掛けや、派手な演出があるわけではない。
しかし丁寧に、真摯につくられたものはそれだけで人の心を打つということが、この家に対しても、この小説に対してもいえることだと思う。
折に触れて読み返したい、読み返すことでまたこの家に訪れたい、そんな気持ちを抱かせてくれる小説だった。
読み終えて、今暮らす自分の家や街、かつて暮らしたり経験した建築に改めて想いを馳せ、振り返ってみたくなる小説だった。
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